好感度ゼロ

ときどき、というか年齢を追うごとに日に日に確信していく感じで、自分は全方位的に嫌われている人間なのか???と思うことがある。自分のことを嫌いな人、こちらの被害妄想ではなくはっきりと嫌われていると人づてに聞いたりとか、そういう人もたくさんいるし、態度から嫌われているのだろうなあと思う人もいる。学生からも妙に反感買ったり嫌われたりすることがある。

 

好かれたい、というよりも、自分の仕事をして自分でそれでいいと思う姿勢をとり、できる限りのことをしているわけだけど、その結果が嫌われるというのは、なんかこうもさまざまな人から嫌われると、人としてなにか自分が決定的に間違っているんじゃないだろうか、という気になったりする。

 

私の知り合いでも全方位的に好かれている人がいて、八方美人とかではなく、そういうひとは本当にいい人で気持ちのいい人である。私なんか嫌われがちな人間にもいろいろよくしてくれて私も心の底からその人のことをすきで尊敬している。たとえば翻訳者のK本S子さんとかである。そういう人はなんだろう、どうしたらそういう人になれるんだろう。

 

もう顔とか振る舞いとかそういうレベルで好印象な人いるでしょう?

逆に私はそれの嫌われるバージョンというか。もう容貌とかしゃべったりとかそういうのが不快、みたいな感じなのかなとか思ったりする。

 

ぶっちゃけてしまうと、やはり学生にも感じが良い子と悪い子、好きな子好きになれない子がいるわけで。で、悪い子はたぶんほとんどの人から感じが悪いと思われているはず。まあしょうがないね。好かれるというのは目的じゃなくてなにかの結果の副産物なので、好かれることを狙って求めて生きていくのも違う気がするしね。それも含めて好かれるために生きてるわけじゃないってことで納得するしか。

 

選択と集中

スターを押してくださった方ありがとうございますw 

すごい。↑でもこう書いたからといって押さねばとか義務感もたないでください

 

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もう人生後半戦、で、時間が圧倒的にないなあと最近よく思う。

やりたいことが大量にあり、やらねばならないことも大量にある。

かなり融通効くとはいえフルタイムの定職もあり、文筆の仕事もあり、育児もあるっていう、それだけでもう<無理だろ>感があるなか、

ましては余暇など。

読みたい本、マンガ、やりたいゲーム、みたいドラマ、映画、芝居、行きたいイベント、展覧会、スポット、観光地。聞きたいトークyoutube、オンラインイベントetc.

もっと語学や投資なんかも勉強したいし、学生との交流もできたらと思うし、子どもをあちこち連れていったり一緒に遊んだりもっと家事を負担したほうがいいとも思うし、最近は社会的な啓発運動だとか、もう少しビジネス的なこともしたいなんて思ったりもしている。

 

いろんなことに興味がありすぎるので、領域横断的なところを自分の特性にしようと思ったりもしたが、さすがに手を広げすぎてぜんぜん追い切れないし、追い切れないことにフラストレーションが溜まる。

仕事もこれだけやったら、みたいなカチッとした量がないタイプなのでどこまでも時間を掛けることができるし。

とっちらかりすぎているので、選択と集中せねばならないと感じる。

いまは馬券でたくさん点数買っているようなものだ。

分散投資。低リスク低リターン。

 

ただ過去に馬券を買ってきたなかで、自分は大穴狙いだと絶対だめで、じみに堅実に人気馬から流して低い配当のやつを当てるタイプだと確信していたので、人生においても同じなのではないかというかなり確信めいた予感がある。

常勤職をスパッとやめて背水の陣で空いた時間で一球入魂なにかやる、とか

そんなふうにできたらカッコいいけれども。

 

ひー9年ぶりとか

恐ろしすぎますね。

 

誰も見ていないところでこっそり、誰かに話しかけているように書きます。はてなブログ全盛の頃、自分だけの日記アカウントがあってそこでいろいろもやもやしたことを書いていたのですが、そのアカウントもどうなったかわからないし、ここはもうおそらく誰も見ていないんだろうと思われるので、ひとりごとをだらだらと書きます。日記さんに宛てた文章です。

 

去年一年は本当にどん底に近かったです。夏以降。というか前兆はその前ぐらいからはじまっていたのかもしれないなあと思う。2014年に長女が亡くなってこれ以上つらいことなど人生に起こりようがないのでもう大丈夫と思ったけれども、やはりその後も地味に生き続けるわけなので地味にいろいろと浮き沈み、というか沈み沈みがあり、それなりに堪える。でもやっぱりそんなたいしたことのない自分のちっぽけな悩みにかかずりあっていることこそ、忘れてはならないことを忘れてしまった証拠だと思わなきゃいけないのかもしれない。(罪を犯した人はその後どうやって生きていくのだろう)

 

ともあれ、それで少しずつ削られることの蓄積があり、コロナもありで、人間関係が断捨離なんてどころではなく完全に潰えた。まったく人付き合いがなくなり、でもそれでもいいやと思うようになった。うっすいつながりの知り合いとごくたまに、半年に一回ぐらいとか、数人でランチしたりして、自分で声かけたりして二ヶ月に一回ぐらい誰かと会っている勘定になるが、本当にそれぐらいだ。最近はそれすらもかなり面倒くさいので、もう人とつきあわなくていいのではないかと開き直っている。もともと一握りの友人の半分は自分のせいで、もう半分は自分のせいではなく、それぞれに降って湧いたようなきっかけがあり勝手に人が離れていった。

 

去年の春から夏にかけてひどく落ち込む出来事があり、そのトラウマをひきずっている。人生を降りる(半分?てかほぼほぼ?)という諦めがつけば楽だけど、諦めもつかないわりに奮起する気力体力も時間もなく、ただずるずるといろいろなものが砂時計の底からするすると砂が落ちるように自分から消えていく。みんな心のもやもやにどうやって折り合いをつけているのだろうか。

 

ほぼ無に等しいながらギリ友人と認定できる人も年下が多くなってきてたまに会うと悩み相談されるモードになり、こちらもそれにのって助言とかのたまってしまうが、ほんとうはわたしが誰かに相談したいねん。と思う。メンタルトレーナーとかコーチングとかお金を払って私の話を聞いてもらったりしたほうがいいのだろうか。などと思う。

昔はこういう心の整理的な文章を日記として大量に書いていたがここ数年書かなかったのが鬱屈の原因かもしれない。

 

書きながら、あまりに去年から落ちてるので大殺界なのかと思ってふと調べた(大殺界はすごく自分には当たっていると思い信じていたがここ数年それも忘れていた)ら、今年は十二年に一度の一番いい「達成」の年だった。うーん……いまこの状況で12年に一度の幸運期なら今後どれだけあと下がるだけなのかと思ってちょっとさらに落ち込んだ。

 

誰も見てないと思って完全にひとりごとを書いています

今日このとこ掛かりきりだった原稿の手が離れて、ひとつの山を越えて一段落。嬉しくてついつい要らんことを書きたくなる夜、この夜だけは。年末進行とは無縁の生活を送っているものの、毎年師走は下読みや卒論がありそれなりに忙しい。今年は原稿があったので特に大変だった。周りには平均すると毎日〆切りがあるなんて人もいるから、そんな人たちに比べて私のキャパのなんと低さよ。と思ったりもするけれど。今年は12月まで仕事も少なく、基本的にはまったりゆったり、あちこち旅行に行ったり遊んでばかりいたように思うが、このあと大きな山としては21日に下読みの〆切り(あと40本以上)、25日にもうひとつ下読みの〆切り、27日に4000字の原稿の締切(限りなく無理に近いブルー)、9日までは卒論添削ラッシュ、15日ぐらいにもうひとつ原稿締切、で全部片づく感じかな〜。うーん、書き出してみたけど原稿書く時間がないな(;^ω^) 12月末締めの共訳書の翻訳、まだまったく手を付けていません、すみません。上記が終わったらそれだけをひたすらにやります。こうやって目の前に来る大波小波をひたすら乗り越えているけど、なんというかもっと自分から向かっていくようなことを来年は実際に実現しなければとほんのりと思う。

日記というか年記の勢いなので久しぶりに開いてあまりの時間の隔たりに我ながらびびった。やはりどうしても日々のよしなしごととそれに対する細々としたわだかまりや引っかかりについて思うまま書きたいという気持ちがありつつも、こうして日記を書きつづけるという最後の抵抗すら放棄しつつある今日この頃、さてどこに書こうかな、ツイッター、ミクシー、フェイスブック、グーグルプラス、と選択肢だけは増えたけれどもどこもいまいちぴんとこな、で結局ここが一番いいのだった。ツイッターができて最初のいっときは楽しかったけれども、いまはまったくついていけないというか、早くなくなればいいのにという気持ちがして仕方がない。結局うまく使いこなせていないだけだと思うのだけど、やはり情報(イベントやいまやっている面白いテレビ番組)の取得の速報性はかえがたいし、ふと生成される会話や議論は面白いけど、ノイズとして入ってくる(自分の気持ちやタイミングにそぐわない)情報が多すぎるんだなあ。向こうから来られるより自分から摑まえにいきたいのよ。

……と前置きを書いて、なぜここを開いて何を書こうと思ったのかすでに忘れてしまった。けれども、定期的に書くというわたしが固執してきた数少ない習慣を取り戻したいと思う。リーダーに入っていて、もう何年も読んでいなかった同業者+年上の女性研究者の方がコンスタントに現在も書かれているブログを2年ぶんほど読んで、改めて、こういう風にまとまった形で読めることの良さを実感したり、亡くなった人たちのお墓のようなはてなブログのことを思って、ツイッターのログからはこんなふうに故人を偲んだりできないなきっと、と思ったり。

GWは漫画喫茶に行って5時間パック+3時間延長で、『テルマエロマエ』と『進撃の巨人』と『月舘の殺人』という佐々木倫子×綾辻行人の鉄道ミステリとやっと『アイアムアヒーロー』を最新刊まで読んだ。アイアムアヒーロー、思ってたよりベタというか、ウォーキングデッドに似ているというか、予想してたよりあまり面白くなかったかなあ。ゾンビの話になるまでじっくり一巻分ぐらいかけて進行していくところは面白かった。

最近のこと。

  • 12/31 福利厚生で貰った映画鑑賞券を消化するため(なにこの言い訳)川崎の109シネマに『トロン』を見に行く。3D見るならIMAXシアターと決めているので。このモールに入ってる「黒ひつじ」というお店でジンギスカンを食べるのも恒例の楽しみ。トロン面白かった。でも後日見たテレビで松井監督が言ってたとおり確かに主人公に魅力がなさすぎるのは問題だった。ディズニー映画って何でああいうどこから沸いたのかわからないような地味な役者が主役級の役どころやるんだろう。謎。
  • 1/1 今年はだらしなく実家に帰らずだらだらと自室で。年明けて2時ごろ、荻窪の白山神社に初詣に行った。実家から借りていた自動車を返すついでに寄るつもりが入間のアウトレットに行ってそのまままた車で戻ってくる。アウトレットでは特に買うものがなかった。
  • 1/2 伊勢丹の初売りに行って一日に使った金額の最高記録を更新してしまう。年明けから罪悪感で死にたくなる。
  • 1/3 疲労でこんこんと眠り、卒論の添削など。
  • 1/4 卒論の添削していたらキーボードが突如壊れ、夕方自転車で吉祥寺のヨドバシまで行きキーボード他購入。台湾料理屋の旺旺がおとろしく綺麗に改築されていたので数年ぶりに行ってかけご飯を食べる。その隣にはらロールの店ができていたので初購入。はらロール、うますぎるやろ。まじびびったわ。

あけまして2011年。

ん、今年はやっぱりブログだよ。ツイッター、人に会うと、ツイッターやってないんですか、え、ぜひやろうよだのなんだのと「ツイッター」という単語を必ず言ってしまうのってなんだろね、ぜんぜん好きじゃないくせに。ここ数日また一切見てないのですが。適切な距離の取り方がわからない。ので最近はむしろmixiのつぶやきとかに初心に戻ってこれじつはよくなくなくない、と思ったり、「イイネ!」なんて押してもらってほんわかしたり、ツイッターと連携させてるので、リプライ送ったのに返信がないなあいつめと思ったらmixiのつぶやきで返信されてて、なにそのねじれコミュニケーション、嫌いじゃないなぜと思ったり。

こういう風に140文字とか人の目とか気にせずダラダラダラダラと言葉を打っていたいもんです。今年はバックラッシュというかフラッシュバックというか初心に帰りたいです。

いま卒論の添削を二名分終え、溜まっていたメールの返事を勢いで何通か返し、あとは年末から持ち越してしまった劇評を書いて、もう一人そろそろ来るであろう卒論の添削、先ほど添削した二名の卒論の再提出の添削、それから一本翻訳、したら目先の仕事がなくなる。と書いているうちに、年末に来ていた大事なメールに返信してないことが脳裏をかすめた。いつも時に追い越されてる。今年は時にしがみついて追いついていきたい。今年はっていうかもういまこの瞬間から。