いそがしすぎる
まだ2ヶ月しかたってない!
声を大にして言わないといられない、、、6月いそがしすぎる!!!!
今年は本務校が例年に比べればスーパー楽ではあるのだが、あと任期1年の委員の仕事がやっぱりそれなりに重く、というのも収入からすれば当然なぐらいの負荷ではある、そこに育児にまつわるあれやこれや、んでずうっと前から引き受けている待ったなし勘当絶縁5秒前の原稿、直近で引き受けてしまった書ける気がまるでしない原稿、ちまちまとした日常の雑事、子どもの誕生日だとか学生指導だとかゼミだとか、ママ友づきあいだとか学校行事だとか、絶妙にちまちまちまちまありすぎて、ただでさえ憂鬱な6月、なんでこんなに忙しいのかと。
さっき明日こそ本腰入れて原稿仕上げるぞ、と思ってスケジュール帳を見たら、オムニバスのリレー授業が入っていて絶望した・・・
7月になれば学期の終わりが見えるので元気も回復するはず、6月が底だと思って頑張ろう、、、
3年ぶり
ログインするときのパスワードが簡単すぎてびっくりした。数字も記号もなくただの小文字の単語の羅列で。以下例によってただの独り言の愚痴です。
新学期が始まって、教授会がオンラインから対面に戻った。3年ぶりとか4年ぶりとか?コロナで数少ない良くなった出来事だったのに。そのついでに同じ日にいつもやっていた教室会議も対面になり、これで月に1日は、会議に出るだけで終わってしまう日が生じることになった。オンラインなら自宅や出先で出られた会議が、片道1時間強かけて通勤もするので、その日はもう何もできない。なんとなく周囲の人の意見を伺うに、対面至上主義や対面重視の人が多いけれども、私はだんぜんオンライン派、対面のメリットはそりゃあるけれど、それにかかるコストを考えたらオンラインに勝るものはない。対面の方が良いシチュエーションも確かにあるが、そんなものは本当に稀にしかない。大体のことはオンラインでなんとかなる。パフォーマンスは2割〜3割減になるだろうけど、いや本当に、その損失を埋め合わせるの、対面を実現するためのコストをかけるに値するか???と思う。
教授会も集まって何かの議題や報告の後に質問や意見のある人は挙手して発言するけれども、そんなのは2−3人で後はただ黙って聞いているだけ。集まってライブで聞く意味どこにあるのかさっぱりわからない。しっかり聞かせたいという運営側の自己満足でしかない。こういう愚策に付き合わされるたび、自分の意思が反映されない組織に属することの不毛さを感じるけれども、それなりのお給金をいただいている限りは、自分の時間を捧げなければならないのだよね。
その後の学科会議は人数が少ないので、会って話す価値はあると思うけれども、私が不真面目すぎるのか他の人が真面目すぎるのか、私は組織のことが本当にどうでも良くて色々な運営のことにてんで関心がない一方、みんな所属する組織に対する帰属意識や愛着がすごくあるんだな、と思ってそこにびっくりする。熱心に教室の運営について語り合い議論し合う同僚たちを横目に、私はこの組織に対して、たまたま放り込まれたビジホの部屋みたいな感覚しかなく、このビジホの部屋を快適にしよう、さらによくしよう、もっとこのホテルの客の入りをよくしよう、みたいなことはまったく思えず、ただ労力を最小限にやり過ごそうとしか思えない。だけどそんなふうに考えていそうなのは私しかいなさそうなので、いったいこの人たちと私とは何が違うのだろうと考え込んでしまう。私にとって大学教員という仕事は稼ぎの上では本業だけれども、やりたい仕事という意味では副業的な認識だからかもしれない。
もう一つ組織の中で人と協働するということについて、こんなのは会社勤めの人なら当たり前のあるあるかもしれないけど、私の仕事は、書き仕事にしろ教育やら研究やらにしろ基本は1人でやるものなので、たまに大学の教室運営などで人と一緒に事務仕事などすると、タイプが違う人との協働にメンタルがとてもつかれてしまう。うちの組織を見るに、
A)自分に甘く、他人に甘い
B)自分に厳しく、他人にも厳しい
という人のどちらかしかいない。もちろん私は絶賛Aタイプで、自分ができない人間と認識しているから、他の人の事務仕事が遅れても、内心わかる〜と共感する気持ちになるし、困ったらお互い様だよね、と思っている。原稿の仕事の方で、遅れまくっても嫌味ひとつ言わずに許してくれる編集者や担当の人たちのありがたさが身に沁みているので、私は怒れる立場にそもそもないし、他人の遅れやダメさに寛容だ。
でもBタイプの人はダメな人に対して当たりが強すぎる。最近ヤフコメとかみていても、真っ当で当たり前の正しさや、ダメさや甘さに対する断罪ばかりで不寛容の嵐なのに似ている。別に、事務が指定する期限に書類の提出が少しぐらい遅れたってなんの問題もないし(そりゃ催促したり待ったりのコストはあるだろうけど、致命的なダメージはないですよ)、課内の誰か1人のせいで事務への書類提出が遅くなったって、別に主任が怒られとけばいいじゃん、と思う。例えば入試当日の進行に関わるとか、行事の開始時刻が大幅に遅れるとか、そういう致命的なミスはダメだけど、そんな許されない厳密なシチュエーションなんか滅多にないよ。
好感度ゼロ
ときどき、というか年齢を追うごとに日に日に確信していく感じで、自分は全方位的に嫌われている人間なのか???と思うことがある。自分のことを嫌いな人、こちらの被害妄想ではなくはっきりと嫌われていると人づてに聞いたりとか、そういう人もたくさんいるし、態度から嫌われているのだろうなあと思う人もいる。学生からも妙に反感買ったり嫌われたりすることがある。
好かれたい、というよりも、自分の仕事をして自分でそれでいいと思う姿勢をとり、できる限りのことをしているわけだけど、その結果が嫌われるというのは、なんかこうもさまざまな人から嫌われると、人としてなにか自分が決定的に間違っているんじゃないだろうか、という気になったりする。
私の知り合いでも全方位的に好かれている人がいて、八方美人とかではなく、そういうひとは本当にいい人で気持ちのいい人である。私なんか嫌われがちな人間にもいろいろよくしてくれて私も心の底からその人のことをすきで尊敬している。たとえば翻訳者のK本S子さんとかである。そういう人はなんだろう、どうしたらそういう人になれるんだろう。
もう顔とか振る舞いとかそういうレベルで好印象な人いるでしょう?
逆に私はそれの嫌われるバージョンというか。もう容貌とかしゃべったりとかそういうのが不快、みたいな感じなのかなとか思ったりする。
ぶっちゃけてしまうと、やはり学生にも感じが良い子と悪い子、好きな子好きになれない子がいるわけで。で、悪い子はたぶんほとんどの人から感じが悪いと思われているはず。まあしょうがないね。好かれるというのは目的じゃなくてなにかの結果の副産物なので、好かれることを狙って求めて生きていくのも違う気がするしね。それも含めて好かれるために生きてるわけじゃないってことで納得するしか。
選択と集中
スターを押してくださった方ありがとうございますw
すごい。↑でもこう書いたからといって押さねばとか義務感もたないでください
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もう人生後半戦、で、時間が圧倒的にないなあと最近よく思う。
やりたいことが大量にあり、やらねばならないことも大量にある。
かなり融通効くとはいえフルタイムの定職もあり、文筆の仕事もあり、育児もあるっていう、それだけでもう<無理だろ>感があるなか、
ましては余暇など。
読みたい本、マンガ、やりたいゲーム、みたいドラマ、映画、芝居、行きたいイベント、展覧会、スポット、観光地。聞きたいトークにyoutube、オンラインイベントetc.
もっと語学や投資なんかも勉強したいし、学生との交流もできたらと思うし、子どもをあちこち連れていったり一緒に遊んだりもっと家事を負担したほうがいいとも思うし、最近は社会的な啓発運動だとか、もう少しビジネス的なこともしたいなんて思ったりもしている。
いろんなことに興味がありすぎるので、領域横断的なところを自分の特性にしようと思ったりもしたが、さすがに手を広げすぎてぜんぜん追い切れないし、追い切れないことにフラストレーションが溜まる。
仕事もこれだけやったら、みたいなカチッとした量がないタイプなのでどこまでも時間を掛けることができるし。
とっちらかりすぎているので、選択と集中せねばならないと感じる。
いまは馬券でたくさん点数買っているようなものだ。
分散投資。低リスク低リターン。
ただ過去に馬券を買ってきたなかで、自分は大穴狙いだと絶対だめで、じみに堅実に人気馬から流して低い配当のやつを当てるタイプだと確信していたので、人生においても同じなのではないかというかなり確信めいた予感がある。
常勤職をスパッとやめて背水の陣で空いた時間で一球入魂なにかやる、とか
そんなふうにできたらカッコいいけれども。
ひー9年ぶりとか
恐ろしすぎますね。
誰も見ていないところでこっそり、誰かに話しかけているように書きます。はてなブログ全盛の頃、自分だけの日記アカウントがあってそこでいろいろもやもやしたことを書いていたのですが、そのアカウントもどうなったかわからないし、ここはもうおそらく誰も見ていないんだろうと思われるので、ひとりごとをだらだらと書きます。日記さんに宛てた文章です。
去年一年は本当にどん底に近かったです。夏以降。というか前兆はその前ぐらいからはじまっていたのかもしれないなあと思う。2014年に長女が亡くなってこれ以上つらいことなど人生に起こりようがないのでもう大丈夫と思ったけれども、やはりその後も地味に生き続けるわけなので地味にいろいろと浮き沈み、というか沈み沈みがあり、それなりに堪える。でもやっぱりそんなたいしたことのない自分のちっぽけな悩みにかかずりあっていることこそ、忘れてはならないことを忘れてしまった証拠だと思わなきゃいけないのかもしれない。(罪を犯した人はその後どうやって生きていくのだろう)
ともあれ、それで少しずつ削られることの蓄積があり、コロナもありで、人間関係が断捨離なんてどころではなく完全に潰えた。まったく人付き合いがなくなり、でもそれでもいいやと思うようになった。うっすいつながりの知り合いとごくたまに、半年に一回ぐらいとか、数人でランチしたりして、自分で声かけたりして二ヶ月に一回ぐらい誰かと会っている勘定になるが、本当にそれぐらいだ。最近はそれすらもかなり面倒くさいので、もう人とつきあわなくていいのではないかと開き直っている。もともと一握りの友人の半分は自分のせいで、もう半分は自分のせいではなく、それぞれに降って湧いたようなきっかけがあり勝手に人が離れていった。
去年の春から夏にかけてひどく落ち込む出来事があり、そのトラウマをひきずっている。人生を降りる(半分?てかほぼほぼ?)という諦めがつけば楽だけど、諦めもつかないわりに奮起する気力体力も時間もなく、ただずるずるといろいろなものが砂時計の底からするすると砂が落ちるように自分から消えていく。みんな心のもやもやにどうやって折り合いをつけているのだろうか。
ほぼ無に等しいながらギリ友人と認定できる人も年下が多くなってきてたまに会うと悩み相談されるモードになり、こちらもそれにのって助言とかのたまってしまうが、ほんとうはわたしが誰かに相談したいねん。と思う。メンタルトレーナーとかコーチングとかお金を払って私の話を聞いてもらったりしたほうがいいのだろうか。などと思う。
昔はこういう心の整理的な文章を日記として大量に書いていたがここ数年書かなかったのが鬱屈の原因かもしれない。
書きながら、あまりに去年から落ちてるので大殺界なのかと思ってふと調べた(大殺界はすごく自分には当たっていると思い信じていたがここ数年それも忘れていた)ら、今年は十二年に一度の一番いい「達成」の年だった。うーん……いまこの状況で12年に一度の幸運期なら今後どれだけあと下がるだけなのかと思ってちょっとさらに落ち込んだ。
誰も見てないと思って完全にひとりごとを書いています
今日このとこ掛かりきりだった原稿の手が離れて、ひとつの山を越えて一段落。嬉しくてついつい要らんことを書きたくなる夜、この夜だけは。年末進行とは無縁の生活を送っているものの、毎年師走は下読みや卒論がありそれなりに忙しい。今年は原稿があったので特に大変だった。周りには平均すると毎日〆切りがあるなんて人もいるから、そんな人たちに比べて私のキャパのなんと低さよ。と思ったりもするけれど。今年は12月まで仕事も少なく、基本的にはまったりゆったり、あちこち旅行に行ったり遊んでばかりいたように思うが、このあと大きな山としては21日に下読みの〆切り(あと40本以上)、25日にもうひとつ下読みの〆切り、27日に4000字の原稿の締切(限りなく無理に近いブルー)、9日までは卒論添削ラッシュ、15日ぐらいにもうひとつ原稿締切、で全部片づく感じかな〜。うーん、書き出してみたけど原稿書く時間がないな(;^ω^) 12月末締めの共訳書の翻訳、まだまったく手を付けていません、すみません。上記が終わったらそれだけをひたすらにやります。こうやって目の前に来る大波小波をひたすら乗り越えているけど、なんというかもっと自分から向かっていくようなことを来年は実際に実現しなければとほんのりと思う。
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日記というか年記の勢いなので久しぶりに開いてあまりの時間の隔たりに我ながらびびった。やはりどうしても日々のよしなしごととそれに対する細々としたわだかまりや引っかかりについて思うまま書きたいという気持ちがありつつも、こうして日記を書きつづけるという最後の抵抗すら放棄しつつある今日この頃、さてどこに書こうかな、ツイッター、ミクシー、フェイスブック、グーグルプラス、と選択肢だけは増えたけれどもどこもいまいちぴんとこな、で結局ここが一番いいのだった。ツイッターができて最初のいっときは楽しかったけれども、いまはまったくついていけないというか、早くなくなればいいのにという気持ちがして仕方がない。結局うまく使いこなせていないだけだと思うのだけど、やはり情報(イベントやいまやっている面白いテレビ番組)の取得の速報性はかえがたいし、ふと生成される会話や議論は面白いけど、ノイズとして入ってくる(自分の気持ちやタイミングにそぐわない)情報が多すぎるんだなあ。向こうから来られるより自分から摑まえにいきたいのよ。
……と前置きを書いて、なぜここを開いて何を書こうと思ったのかすでに忘れてしまった。けれども、定期的に書くというわたしが固執してきた数少ない習慣を取り戻したいと思う。リーダーに入っていて、もう何年も読んでいなかった同業者+年上の女性研究者の方がコンスタントに現在も書かれているブログを2年ぶんほど読んで、改めて、こういう風にまとまった形で読めることの良さを実感したり、亡くなった人たちのお墓のようなはてなブログのことを思って、ツイッターのログからはこんなふうに故人を偲んだりできないなきっと、と思ったり。
GWは漫画喫茶に行って5時間パック+3時間延長で、『テルマエロマエ』と『進撃の巨人』と『月舘の殺人』という佐々木倫子×綾辻行人の鉄道ミステリとやっと『アイアムアヒーロー』を最新刊まで読んだ。アイアムアヒーロー、思ってたよりベタというか、ウォーキングデッドに似ているというか、予想してたよりあまり面白くなかったかなあ。ゾンビの話になるまでじっくり一巻分ぐらいかけて進行していくところは面白かった。