好感度ゼロ

ときどき、というか年齢を追うごとに日に日に確信していく感じで、自分は全方位的に嫌われている人間なのか???と思うことがある。自分のことを嫌いな人、こちらの被害妄想ではなくはっきりと嫌われていると人づてに聞いたりとか、そういう人もたくさんいるし、態度から嫌われているのだろうなあと思う人もいる。学生からも妙に反感買ったり嫌われたりすることがある。

 

好かれたい、というよりも、自分の仕事をして自分でそれでいいと思う姿勢をとり、できる限りのことをしているわけだけど、その結果が嫌われるというのは、なんかこうもさまざまな人から嫌われると、人としてなにか自分が決定的に間違っているんじゃないだろうか、という気になったりする。

 

私の知り合いでも全方位的に好かれている人がいて、八方美人とかではなく、そういうひとは本当にいい人で気持ちのいい人である。私なんか嫌われがちな人間にもいろいろよくしてくれて私も心の底からその人のことをすきで尊敬している。たとえば翻訳者のK本S子さんとかである。そういう人はなんだろう、どうしたらそういう人になれるんだろう。

 

もう顔とか振る舞いとかそういうレベルで好印象な人いるでしょう?

逆に私はそれの嫌われるバージョンというか。もう容貌とかしゃべったりとかそういうのが不快、みたいな感じなのかなとか思ったりする。

 

ぶっちゃけてしまうと、やはり学生にも感じが良い子と悪い子、好きな子好きになれない子がいるわけで。で、悪い子はたぶんほとんどの人から感じが悪いと思われているはず。まあしょうがないね。好かれるというのは目的じゃなくてなにかの結果の副産物なので、好かれることを狙って求めて生きていくのも違う気がするしね。それも含めて好かれるために生きてるわけじゃないってことで納得するしか。