『ユナイテッド93』

2001年9月11日の同時多発テロでハイジャックされた4機の航空機のうち、唯一ターゲットに辿り着かずにペンシルヴェニアで墜落したユナイテッド93便の物語を、遺族や関係者への厖大なインタビューをもとに制作した映画。飛行機のなかで実際になにが起きたのかを知る人間は生存しないため、機内の状況はリサーチに基づいた想像にすぎない。(その辺の経緯はid:TomoMachi:20060514参照)その映像が当日の地上の状況、管制塔や空軍司令センターの忠実な再現にサンドイッチされて(地上での指揮を担う中心的人物、連邦航空局のベン・スライニーをはじめ、何人もの人がAS HIMSELFで登場している)、9月11日の朝の数時間をただ淡々と克明に記録して終わる。ドキュメンタリーとフィクションの境界、モニュメントとしての映画作品と、それが形成するナショナリズムとを考えるうえで非常に興味深い作品。これはぜひ映画館で観るべき。管制センターや軍の司令部内の真っ暗な室内が、映画館の暗闇に溶け込んで、いつのまにか中にいる感覚になったのも驚いたし、密閉された空間のなかで、他の観客と狭い客席に座って観る状況は、機内の空間に酷似している。町山氏は「映画史上最も凶悪なジェットコースター映画といってもいい」と言っているが、よくもわるくもそういう体験のできる映画館でぜひ観て欲しいし、頭のなかで、これに匹敵する映像を探してみて、『プライベート・ライアン』冒頭の上陸シーンを思いだした。息詰まる緊張感、人間の無力さと勇気、宗教・政治イデオロギーの愚かしさ。映画が伝える様々な要素に胸をうたれ、言葉をなくすけれど、一番心に残ったのは、93便が飛び立つまえの朝の光景――談笑し、くつろいで、眠たげに、窓を覗いて離陸を待つひとびとの、あまりにもありふれている光景の残酷さだった。*1
あとは雑感。

  • 映画は、コーランの詠唱の声にのせて、狭いホテルの一室で、三人の犯人が搭乗前の最後の準備をし、床に跪いて祈りを捧げている場面からはじまる。93便が他の便とは違う結末を迎えた理由を、乗客の勇気ある行動と、リーダー格の青年が犯行を躊躇していたことという二つの設定で描いている。犯人やアラブ圏の人々に対する徒な憎しみを煽らないように、犯人たちも宗教・政治イデオロギーにとらわれた憐れな人間として描いてはいるのだが(青年が搭乗前に待合室で恋人とおぼしき人に電話を掛けて「愛してるよ」と告げるのは、その後乗客が地上で待つ人々に電話を掛け、ただ「愛してるよ」と告げる連鎖に繋がっていく)、ハイジャックされた機内で犯人達が激昂しつつ叫ぶ異言語*2の恐ろしさ、異文化に接する恐怖を存分に体験してしまうのがちょっと気になった。
  • セミリアルなドキュメンタリーとフィクションについていえば、例えば無名の役者を中心に、お互いの合意の意志があった場合に限り、役者は、演じることになる人の遺族と接触を持ったらしいが、ひとりひとりがもはや演技ではなく、自分がその場にいる状況を体験しているような、自分になりきることで役に近づいているのとかが面白い。 *3手持ちのカメラの無造作なショットで、離陸する前の機内のなじみある朝の風景を描いていて、その既視感は私たちを機内の人々に深く同一化させるのだが*4、これから起こることは観ている私たちだけが知っているのだという時間と場所の隔たりも意識されて、観客という主体を非常にアンバランスな位置に置く映画なのが面白い。
  • なお、字幕は戸田奈津子、ERを思い出すとわかりやすい、めまぐるしい状況下での生死のドラマの趣きなので、大量の情報量をごっそりと簡潔な字幕にしていて、追いやすいのはいいのだけど、ちょっと縮めすぎて主語や指示対象が分からないところもあった。

ユナイテッド93』は、8月12日より公開。http://www.united93.jp/top.html

*1:ちょっと『誰も知らない』みたいな感じ

*2:そういえば『ターミナル』もそういう主題だった。

*3:cf.松尾スズキの『業音』の荻野目慶子

*4:cf.ドグマ95やポルノ映画あたり